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深き歴史と文化

信州宮田村の歴史や民謡、伝説など。伊那街道や宮田宿、遺跡などをご紹介。

みなさん、宮田村の民話や伝説をご存じですか?

語り継がれた物語、宮田村の民話。
伊那街道と宮田宿から過ぎ去りし歴史街道を学ぶ。
知る人ぞ知る、学術的にも有名な中越遺跡のご紹介。
村に伝わる伝承を物語にした村おこし、物語おさべ親王と梅が里。
真慶寺、熊野寺、圓淨寺、白心寺など、宮田村のお寺。など。

信州宮田村の歴史や文化を簡単にご紹介致します。


「歳時記 みやだの里」より

こまがたけ
日本武尊が東国征伐に向かっていたとき、村の西の高い山から白馬が舞い降りた。馬は増水した太田切川を、尊を乗せて向こう岸に運んだという。以来、この山は駒(馬)の棲む山として、駒ケ岳と呼ばれるようになったそうじゃ。
天つ速駒
駒ケ岳は一日に千里を走る神馬「天つ速駒」が棲んでいた。ある日、東国の人が自国の山に棲む大蛇退治を山神に頼んだ。すると天つ速駒が現れ、馬は苦戦の末、みごと大蛇を退治したという。春に駒ケ岳に現れる馬の雪形は、この馬の面影だそうじゃ。
濃ケ池
妹思いの百姓・七左右衛門は、難産の末に亡くなった妹の成仏と、生まれた赤子の無事の成長を願い、山深い帰命山のお地蔵さんに願掛けに出かけた。七左右衛門の願いが通じ、赤子はその後元気に育ったそうじゃ。
観音坊
上の宮の一角に、いつもきれいな水が流れ出ているところがあった。その近くに尼寺があり、尼僧がひとり住んでいたんじゃと。このあたりは観音坊と呼ばれ、尼僧は一説に、地区の暮らしに大切な湧水を守る、水の神様だったと伝えられている。
竜神の池
かつてここに竜神の棲む池があった。池のほとりの松の大木に、竜は尾を巻いてしばしば休んでいたんだと。近くには諏訪大明神を祀るほこらがある。竜は明神様の化身か?
こまつぶれ
木曽の殿様が駒ケ岳を超えて新田の上の宮まできたとき、馬が倒れてしまい殿様は途方に暮れていた。ちょうどそのとき空をかける白馬が現れ、殿様の馬を背負い天高く駆け上がっていったそうじゃ。このとき白馬のひずめ跡が石に刻まれたという。
おこりの神様
昔、村に尹良親王という方が領主として住んでいた。親王は「おこり」という病気を治すことのできる人で、村から厚く慕われていた。親王が亡くなってしまった後、その霊を祀るお堂を建てたところ、これが病気を治してくれる「おこりの神様」としてしられるようになったんじゃ。
げんじ山
げんじ山は明治時代に活躍し、大関まで上りつめた力士。太っ腹で気前が良く人望も厚かった。諏訪や甲州を巡業し、宮田に来たこともあった。娯楽の少ない時代、興行には多くの人が詰めかけたという。
みやだ川
みやだ川は源氏山の弟子として、同時代に活躍した力士。名古屋相撲に入門し、地方興行で大いに活躍した。本名・松崎亀吉。師匠と弟子が「山」「川」というのも面白い。
お薬師さま
昔、東春近にひとりの尼僧がいた。ある日、それまで面倒を見ていたお坊さんの事故をきっかけに、尼僧は宮田村のお堂に移り住むことになった。生涯を尼僧は仏に仕えたが、晩年は自ら命を絶ってしまった。不憫に思った村の人は、尼僧を手厚く供養したそうじゃ。
緋の衣
佐助という親思いの男がいた。佐助は村の争いに乗じ、放火の罪で処刑されることになってしまった。心優しい佐助を哀れに思ったある人が、お坊さんの赤い衣を身にまとうと罪が消える伝承を知り、急遽お寺から衣を借りて刑の場に駆けつけた。しかし既に佐助は亡くなった後だった。
御座石
この石は日本武尊が東国出征の折、座って休まれたされているんじゃが、江戸時代の開墾の際、「邪魔になる(ごぜる)」からこの名が付いたとの伝説もあるんじゃよ。
山伏塚
昔、旅の山伏がこの地で行き倒れになった。村の衆は無縁仏として手厚く葬り、碑を建て供養するようになったんじゃ。碑には「昔旅人山伏塚」と記されている。
あみだ原とあみだ堂
江戸時代、大久保地区の人たちが来世の幸せを願い、あみだ堂を建てた。そして辺り一帯はあみだ原と呼ばれるようになったんじゃ。ある日このお堂が火事で燃えてしまった。村の衆は新しいお堂を造り、「松明庵」と呼んで彼岸のお祈りや念仏講などの集まりに使ってきた。

濃ケ池 もうひとつの物語

上記に紹介した「お濃と太郎」は、濃ケ池の名前の由来になったお話ですが、もうひとつ「お濃とそうえもん」の物語もあるんです。
この話も読んでみてください。

むかしむかし、宮田の里に「そうえもん」という働き者の若者がおった。その若者が二十歳になった「お濃」という機織りの上手な気立てのよい娘と婚約した。

ある日、そうえもんが朝早く起きて草刈りに行くと、どうしたことか眠気が差し、その眠気に吸い込まれてしまった。すると生臭い風が吹いてきて、ハッと目を覚めた。そこには大きな蛇がそうえもんを呑み込もうと迫ってきた。鎌を振り上げ、大蛇を追い払おうとするが、体はしびれ手も動かない。声を出そうと思っても声が出ない。大蛇は大きな口をあけ迫ってきた。そうえもんは歯を食いしばり、鎌を振り上げて体ごと大蛇にぶつかった。その途端、あんなに眠かったのもふっとんで手足が動くようになった。みると鎌が大蛇の首に突き刺さっていた。大蛇は苦しみもがきながらも、そうえもんに巻きつこうとしたが、鎌に切られた大蛇は、近くの川の中へ沈んでいった。

その後、そうえもんとお濃は結婚した。ところが幸せのはずのそうえもんの顔色が青ざめて、顔には笑顔さえ無くなってしまった。三日目の夜更け、そうえもんは母親を起こし、うす暗い行灯の明かりのもとに眠っているお濃の顔を見せた。なんとそれは見るも恐ろしい大蛇の顔になっていた。

次の日そうえもんと母親は、おのうに「何も言わなんで、この家から出て行ってくれ」と頼んだ。お濃が訊ねても訳は言えなかった。

とても辛く嘆き悲しんで家を飛び出したお濃は、あてもなく山道を歩いていた。疲れたお濃は、道端の柳の枝を折って杖にし歩き続けた。ふと気がつくと駒ケ岳の頂上近いところにたどり着いた。そこには美しい池があった。水を飲もうとしてかがんだところ、池の水面に映ったのは、見るも恐ろしい大蛇の顔だった。その時はじめて、お濃は家を出て行ってくれと言われた訳がわかった。もう生きる力も失ってしまったお濃は、美しい池めがけて飛び込んで身を沈めてしまった。

その後、岸辺にお濃が残した柳の杖が地につきささったまま葉をひろげ、枝が茂ってきたが、杖のままの逆さであった。そして美しく晴れた日、耳をすますと池の底から機織りの音がかすかに聞こえてくる。

それ以来、駒ケ岳のこの美しい池を誰が言うことなく「濃ケ池」と呼ぶようになった。


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