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深き歴史と文化

信州宮田村の歴史や民謡、伝説など。伊那街道や宮田宿、遺跡などをご紹介。

●おさべ親王と梅が里●

「梅が里」


宮田村はいつのころからか、そう呼ばれてきました。


「なぜ梅の産地でもない宮田村が『梅が里』なのか?」


その疑問を調査した宮田村村おこし事業実行委員会は、


奈良時代末期に生きたある人物と、その伝承に行き当たります。


そして、伝承から新たな物語が生まれました──

ことのはじまり 〜「梅」からはじまる物語〜

平成12年に組織された宮田村・村おこし事業実行委員会(以下、実行委員会)は、村おこしのテーマとして「水」と「梅」をテーマに掲げました。


中でも「梅が里」は宮田村を指す言葉として、小中学校の校歌にも歌われており、村民の心に深く根ざしたものでしたが、残念ながら、多くの村民が名称の由来を忘れ去っていました。


そこで実行委員会では、名称の由来について調査を行い、そこで、奈良時代末期の人物「他戸(おさべ)親王」と、その伝承に行きつきました。
そして、おさべ親王が宮田村に住まわれ、梅の歌を詠んだのが「梅が里」の起源となっていることがわかったのです。


やがて、実行委員会内部で、この伝承を村おこしのシンボルにしようという機運が高まり始め、実行委員会自身の手で、伝承を元に新たな創造した物語が「おさべ親王と梅が里」です。


現在、この物語を幹として、さまざまな枝葉が伸び、宮田村に豊かな文化の花が咲きつつあります。

おさべ親王 〜その人生〜

奈良時代末期に生きた皇族の一人。第49代「光仁天皇」の三男にあたり、皇后「井上内親王」との間に生まれました。


おさべ親王は皇太子でしたが、母親である井上内親王が謀反人として皇后の地位を追われ(夫である光仁天皇を亡きものにしようとしたため、という伝承があります)、それに連座する形で親王自身も地位を追われることになってしまいました。
その後、奈良県五條市で幽閉されたのち、怪死したと言われています。


これら、一連の事件は藤原式家による政治的陰謀であるという見方が有力です。
また、宮田村にはおさべ親王が忍んでいたという伝説が残っています。


「おさべ親王と梅が里」では、それらの説を取り入れ、自然と文化を愛するおさべ親王が政治的陰謀に巻き込まれる悲劇として描いています。

あらすじ

都が奈良に置かれていたはるか昔のお話。おさべ親王は母親の井上内親王と共に、皇族としての見聞を広めるため、5歳のとき宮田村にやってきました。

親王がりっぱな若者になったころ、父親の光仁天皇が即位し、親王は皇太子として都に戻りました。しかし、そのころの都ははかりごとの渦巻く、政権闘争の真っただ中にあり、政情は安定せず、日を追って悪化するばかりでした。

親王は両親の身を案じ、皇太子の身分を捨てること、都で一緒になった伴侶である皇太子妃を連れ野に下ることを心に決め、再び宮田の里に向かいました。宮田の里に着いた二人を、村人たちは温かな笑顔で迎えました。再び過ごす宮田の里での年月は、夢のように過ぎて行きました。


しかし、幸せは長く続きませんでした。二年目の冬、この地、一帯は冷害とそれに伴う飢饉に見舞われました。時を同じくして、都からの使いが、おさべ親王に衝撃的な知らせを持って訪れます。母親である井上皇后が政治的陰謀により、呪詛の罪を着せられ、位を奪われ辺地に幽閉されたというのです。親王は村人のことを考え、自ら都に出向くことを決意します。そして、これが村人との二度目の、そして永遠の別れとなるのでした。

やがて宮田の里に梅の花が咲き競う季節がやってきました。ある日、村人が不思議なできごとを目にします。親王の館の梅の木が、つぼみのまま散ってしまっているのです。

村人は、親王が自らの死を梅の木に託したことを知り、深い悲しみに打ちひしがれました。そして親王の魂が宿ったこの梅の木を大切に守り育てていくことを誓い合いました。

親王の愛した梅の木は、村人たちの手厚い保護によりりっぱに生長し、毎年春には美しい花を咲かせるようになりました。その後宮田の里は、二度と飢饉に苦しむことのない、五穀豊穣の土地になっていきました。

展開 〜さまざまな枝と花〜

絵本

 
実行委員会の手による物語を、冊子にまとめました。美しい挿絵が物語を彩ります。
「おさべ親王と梅が里」すべての展開の底本。
宮田村小中学校図書館、宮田村図書館で閲覧することができます。

紙しばい

「おさべ親王と梅が里」を子どもたちにも知ってほしいとの思いから紙芝居を制作。
実行委員の手で物語と文章を書きくだし、平絵を描き下ろしています。
朗読ボランティア「おはなし宅急便」のみなさんにより、宮田村の各種イベントで上演しました。

2003年より、おさべ親王をまつる奈良県五條市の御霊神社例祭でも上演。以後毎年、上演を続けており、現在では例祭行事の一つとして定着しています。
奈良県五條市とはおさべ親王を通じて交流がはじまり、イベント、祭事を通じてつながりを深めています。

ストーリーサイン

 
「梅が里」宮田村にふさわしいランドマークとして考案。「おさべ親王と梅が里」の物語を24のシーンに分け、それぞれのシーンをモチーフにした看板を村内に設置。物語の普及と、多くの方に村内を楽しく巡り歩いていただくことを目的としています。

宮田の地を巡りながら、おさべ親王の物語に思いをはせてください。
スタンプラリー、クイズなど村内イベントでも活用しています。

そのほかの展開

 
1)劇作家、瓜生喬氏による語り作品「梅花 風に薫れ」の上演

2)宮田村小学校・中学校において、児童・生徒自身の手による演劇の底本(補助教材)として活用。

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